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福知山脱線事故1ヶ月に際して。

今日の、日付けを、一ヶ月前に、戻したら、今頃、まだ、誰もが、不安の中。
私も、その、方面から、来ている、友人に、連絡を、取ろうと、必死だった。

あれから一ヶ月。

私の通う大学からはたくさんの犠牲者が出た。

今は入学当時と変わらない景色が広がっている。

それが、不謹慎、だとも、いえない。
自分だって、毎日を、過ごさせて、もらっている、から。
ただ、許してください。

http://sea-story-2004-kuro.ameblo.jp/day-20050525.html
見てほしい。

「同じ大学生として、これからの将来が一瞬で奪われたなんて悲しい、無念だ。その人達の分まで一生懸命頑張って生きていきます」なんて、私には、いえない。

ただ、私が生きることを許してほしい。






私は、実は、死んでいたはずの人間なんだ。
暗い話、すんなよな。って思う人は、どうぞ、ウインドウ、閉じちゃってください。
それでも、聞いてくれる人、ありがとう。

あれは、幼稚園のころ、平成3年(1991年)3月14日。

私ともう一人の友達が幼稚園バスに遅れた上に、トイレに行きたいといったため、五分ほど、いつもより出発が遅れた。
幼稚園を出て、いつものように、坂に差し掛かった。
そこにはお空の上を走るモノレールができるのだと聞いていた。
坂の中腹には、新たな交通機関の駅が。
またその駅と次の駅をつなぐ高架が作られていた。

私たちはその下を、今はまだ見えないモノレールに沿って坂を上っていたものだった。



その建設中の高架が落ちた。



いつもの、時間に、出ていたら、死んでいたのは、確かだ。

私は見た。

まだ、何の雨だれもついていない、白い、白いコンクリの橋が、
赤い、丸かっただろう、車に、垂直に、刺さっていたのを。
その端は白い、家庭車にものめりこんでいた。
トラックもいた気がする。
頭から、血を、流して、頭を抱えて、よろり・・・よろりと、赤い車のほうから、出てくる人。
動かない、人もいた。
原型をとどめちゃいない車の中にも、いただろう。

まだ、パトカーの、救急車の音すら聞こえなかった。
その約五分に起きた事故だったんだろう。


あれから、何年だ?・・14年か。
私は今年19になる。

その話はあまり人にはしたことがないが、生きていることの不思議さを感じさせられる。
なぜ、あの時、私は死ななかったのだろうか?

許してほしい。


事故から一ヶ月。
亡くなった方々の魂が救われることを本当に、祈ります。



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コメント

いや~びっくり、テンプレートが!
そっか、ちょこらにもそんなことがあったんだ。ほんと、人生には何度か危機があるよね。それを、かいくぐって生きた者の責任のようなものを感じる事ってあるよね。デモ、なかなか、ひとの人生を送る事って、口では言えても、難しいよね。ま、ちょこらなりの人生を一生懸命生きるしか葬送の意志を表現することはできないよね。がんばれ、ちょこら!
【2005/05/26 12:06】 | URL | 釣りじいさん #-[ 編集] | page top↑
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